「完全養殖成功」というニュースを聞くたびに、「で、いつ安くなるの?」「いつ仕入れられるの?」と感じていたのではないでしょうか。
過去の発表はあくまで「研究室での成功」であり、ビジネスベースの話ではありませんでした。
しかし、2025年7月に発表されたヤンマーホールディングスと水産研究・教育機構による特許は、これまでの「生物学的な発見」とは次元が異なります。
結論から申し上げます。
シラスウナギの生産原価は、従来技術の約40,000円から、約1,800円まで劇的に圧縮されました。
天然の取引価格である約500円にはまだ届きませんが、その背中は確実に見えています。
本記事では、食品商社や外食産業の皆様が最も知りたい「ビジネスとしての実現時期」と「コスト構造の真実」について、感情論を排したファクトベースで、2028年までのロードマップを解説します。
なぜ今回の「特許」は、過去のニュースと決定的に違うのか
多くの業界関係者が抱く「また実験室の話でしょ?」という懐疑心は、過去の経緯を考えればもっともです。
しかし、今回の発表が決定的に異なるのは、課題のフェーズが「生物学(バイオ)」から「工学(エンジニアリング)」へ移行した点にあります。
「生まれること」から「工場で作ること」へのシフト
2010年に水産研究・教育機構が世界で初めて完全養殖に成功した際は、「ウナギのライフサイクルを回すこと」自体が目的でした。
当時の技術は、熟練の研究員がつきっきりで管理し、小さな水槽で数十匹を育てるという、いわば「伝統工芸」のような世界だったのです。
対して、今回のヤンマーホールディングスとの共同研究による特許は、「いかに安く、大量に、自動で作るか」という工業的な課題に対する回答です。
これは、自動車産業で言えば「手作りの試作車」が完成した段階から、「ベルトコンベアによる量産工場」が稼働し始めた段階への変化に等しいと言えます。
今回の特許取得は、完全養殖技術が「研究フェーズ」を卒業し、「産業化フェーズ」へ突入した明確なシグナルなのです。
原価1/20を実現した「FRP製量産水槽」の正体
では、具体的にどのような技術革新が、生産コストを従来の約1/20(40,000円→1,800円)まで押し下げたのでしょうか。
その核心は、バイオテクノロジーではなく、ヤンマーが得意とする流体解析技術を用いた「FRP製量産水槽」にあります。

1基で1,000匹を育てる「規模の経済」
従来のアクリル製水槽は容量が小さく、1つの水槽で飼育できるシラスウナギの稚魚(レプトケファルス幼生)は50匹程度が限界でした。
これに対し、新開発されたFRP製水槽は、1基あたり1,000匹という桁違いの収容能力を持っています。
単に大きくしただけではありません。
ウナギの幼生は非常にデリケートで、水流が強すぎると弱り、弱すぎると餌が回りません。
ヤンマーは船舶やエンジン開発で培った流体解析技術を応用し、「幼生を傷つけず、かつ餌を均一に行き渡らせる最適な水流」を大型水槽内で再現することに成功しました。
自動化による人件費の削減
さらに画期的なのは、給餌と清掃の自動化です。
従来は、サメの卵をペースト状にした特殊な餌を、研究員が手作業で与え、食べ残しによる水質悪化を防ぐために頻繁に水換えを行う必要がありました。
今回のシステムでは、自動給餌装置と底面掃除機能が組み込まれています。
これにより、1人の作業員が同時に4基の水槽(合計4,000匹)を管理することが可能になりました。
「職人技の自動化」と「装置の大型化」こそが、コストダウンの物理的な根拠です。
「1匹1,800円」の現実と、2028年までのロードマップ
技術的なブレイクスルーは確認できましたが、ビジネスの視点では「数字」がすべてです。
現時点でのコストと、商用化のターゲットとなる2028年の目標値を、天然シラスウナギの価格と比較してみましょう。

天然価格との「3倍のギャップ」をどう見るか
現在の完全養殖シラスウナギの生産コストは、1匹あたり約1,800円です。
これは数年前の数万円というレベルからは劇的な進歩ですが、天然シラスウナギの取引価格(500円〜600円)と比較すると、依然として約3倍の開きがあります。
食品商社の仕入れ担当者としての判断は、「今すぐの商用利用はコスト的に合わない」となるでしょう。
しかし、このギャップは「埋められない差」ではありません。
2028年商用化に向けた「残り3倍」の埋め方
ヤンマーと水産研究・教育機構は、2028年頃の商用化を目指しています。
コストをさらに引き下げるための変数は明確です。
- 生存率の向上: 現在の生存率はまだ改善の余地があり、これが上がれば歩留まりが改善し、単価は直結して下がります。
- 飼料コストの低減: 現在使用しているサメの卵(希少資源)から、より安価な人工飼料への代替研究が進んでいます。
- スケールメリット: 実証プラントから商用プラントへ規模が拡大すれば、設備償却費の比率は低下します。
「1,800円」という数字はゴールではなく、商用化ラインに乗せるための通過点として、極めて順調な推移を示していると評価できます。
よくある疑問:味、安全性、そして投資価値
ここでは、ビジネスパートナーや社内への説明時に想定される、コスト以外の疑問について回答します。
完全養殖ウナギの味は天然と違うのか?
遜色ないレベル、あるいは脂の乗りをコントロール可能です。
養殖ウナギの味は「餌」と「水」で決まります。
完全養殖は環境を完全にコントロールできるため、泥臭さがなく、均質な肉質のウナギを生産できる強みがあります。
安全性やトレーサビリティは?
天然よりも高い安全性を担保できます。
天然シラスウナギは、採捕地や流通経路が不透明なケース(密漁など)が問題視されることがあります。
完全養殖は、卵から成魚まで全ての履歴が追跡可能(トレーサブル)であり、抗生物質の使用履歴なども明確に管理できるため、SDGsや食の安全を重視する企業にとって強力な付加価値となります。
ヤンマーなどの関連企業は投資対象になるか?
長期的な視点では有望ですが、即時の収益貢献は限定的です。
ヤンマーホールディングスは非上場ですが、この技術が確立されれば、プラント輸出や飼料販売など、水産事業が大きな柱になる可能性があります。
周辺産業(飼料メーカー、水産設備機器)を含め、2028年の商用化フェーズを見据えた長期的なウォッチリストに入れるべきでしょう。
まとめ
今回のヤンマーの特許取得は、ウナギ完全養殖が「夢物語」から「計算できるビジネス」へと変わったことを意味します。
- コスト革命: 生産原価は1匹1,800円まで低下(従来比1/20)。
- 技術の核心: バイオではなく、FRP製量産水槽による「エンジニアリング」の勝利。
- タイムライン: 商用化目標は2028年。天然価格(500円)への接近が次のマイルストーン。
現時点で、すぐに安価な完全養殖ウナギを大量に仕入れることはできません。
しかし、3年後の2028年には、安定した価格と供給量を誇る「完全養殖ブランド」が市場に登場する可能性が極めて高いです。
その時に乗り遅れないよう、「2028年をターゲットとした調達ポートフォリオの再編」を、今から中期経営計画の議論に含めておくことを強く推奨します。
- シラスウナギの生産コストの大幅な削減に貢献する新たなウナギ種苗量産用水槽を開発 – ヤンマーホールディングス株式会社
- 完全養殖ウナギ、商用化へ前進 水研機構とヤンマーが量産技術を特許化 – +VISION®



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