土用の丑の日や特別なお祝いの席で食べる、香ばしい「うな重」。
そのお重の中にいるうなぎが、実はマリアナ海溝から3,000kmもの旅をしてきた「偉大なる冒険者」であることをご存知でしょうか?
「川魚なのに、なぜそんな遠くの海まで行くの?」
「そもそも、どうやってそんな場所だとわかったの?」
そんな疑問を持たれるのも無理はありません。実は、うなぎの産卵場所が正確に特定されたのは、ごく最近の2009年のこと。それまでは、アリストテレスの時代から2000年以上もの間、人類にとっての「謎」だったのです。
なぜ、うなぎはわざわざマリアナ海溝まで行くのか?
その理由は、1億年前の地球の動き(プレートテクトニクス)に隠されていました。
この記事では、最新の科学的知見に基づき、うなぎの壮大なライフサイクルと、食卓に届くまでの奇跡の物語を解説します。読み終えた頃には、いつものうなぎが、地球の歴史を背負った「尊い存在」に見えてくるはずです。
なぜ最近まで謎だった? 発見を阻んだ「新月」の完全犯罪
私たちにとってこれほど身近な食材なのに、なぜ21世紀になるまで産卵場所がわからなかったのでしょうか?
それは、広い太平洋で直径数ミリの卵を見つけることが、「砂漠で一粒のダイヤモンドを探す」よりも難しい作業だったからです。しかし、発見を阻んでいた最大の要因は、うなぎ自身が仕掛けた「ある生存戦略」にありました。
科学者たちを翻弄した「新月」の闇
長年の調査で「マリアナ諸島のあたりらしい」という目星はついていました。しかし、何度網を引いても卵が見つからない。
ブレイクスルーをもたらしたのは、東京大学の塚本勝巳教授(現・名誉教授)率いる研究チームの執念と、ある仮説でした。
「うなぎは、新月の夜に一斉に産卵しているのではないか?」
月明かりのない真っ暗な海であれば、親うなぎや卵は、外敵(捕食者)に見つかりにくくなります。うなぎたちは生き残るために、月の満ち欠けという宇宙のリズムに合わせて、人知れず愛を育んでいたのです。
この「新月仮説」に基づき、2009年の新月の夜、マリアナ海嶺のスルガ海山周辺で調査を行ったところ、ついに31個の受精卵の採取に成功しました。それは、科学者たちの40年にわたる執念が、うなぎの完全犯罪を暴いた瞬間でした。

産卵場所が「マリアナ海溝」になった1億年の理由
さて、場所は特定されましたが、新たな疑問が湧きます。
「なぜ、わざわざ日本から3,000kmも離れたマリアナ海溝まで行く必要があるのか?」
近場の海でも良さそうなものですが、ここには「進化の宿命」とも言える、壮大な地球のドラマが関係しています。
1億年かけて伸びてしまった「通勤距離」
最新の研究では、うなぎの祖先はもともと深海魚だったと考えられています。約1億年前、彼らは現在のボルネオ島周辺で、海と川を行き来する生活を始めました。
当時、産卵場所は川のすぐ近くにありました。しかし、ここで「プレートテクトニクス(大陸移動)」が介入します。
- うなぎが産卵場所としていた海山(海底の山)が乗っているプレートが、長い時間をかけて北西(現在のマリアナ方面)へ移動しました。
- うなぎたちは、「生まれた場所で産卵する」という本能に従い、移動していく産卵場所を追いかけ続けました。
- その結果、1億年という気の遠くなるような時間をかけて、日本と産卵場所の距離が徐々に開き、現在の3,000kmという長距離通勤になってしまったのです。
つまり、うなぎは好きで遠出をしているわけではなく、「家(川)は変わらないのに、産院(海山)が勝手に遠くへ引っ越してしまった」というのが実情なのです。

「柳の葉」から「うなぎ」へ。劇的な変態と回遊ルート
マリアナの海で生まれたうなぎの赤ちゃんは、私たちが知っている黒くて細長い姿とは似ても似つきません。
透明な葉っぱ「レプトセファルス」
孵化したばかりのうなぎは、「レプトセファルス」と呼ばれる、柳の葉のような透明で平べったい形をしています。この形状は、海流に乗りやすく、かつ透明であることで敵から見つかりにくいという利点があります。
彼らは北赤道海流に乗り、フィリピン沖で黒潮に乗り換え、半年ほどかけて日本近海へと運ばれてきます。この長い旅の間、彼らが何を食べているのかも長年の謎でしたが、最近の研究で「マリンスノー(プランクトンの死骸などが雪のように降ってくるもの)」を食べていることが判明しました。
劇的な変身「シラスウナギ」
日本沿岸に近づくと、彼らは劇的な「変態」を遂げます。平べったい体から円筒形の「シラスウナギ」へと姿を変え、川を遡る準備をするのです。
このシラスウナギこそが、養殖業者たちが血眼になって探す「白いダイヤ」です。この段階で捕獲され、養殖池に入れられたものが、半年〜1年後に私たちの食卓に並ぶことになります。

私たちが食べているのは「奇跡の生存者」。天然と養殖の真実
ここで、少し現実的なお話をしなければなりません。
スーパーや鰻屋さんで「養殖」と書かれているうなぎを見て、「養殖ならいくら食べても大丈夫」と思っていませんか?
「完全養殖」はまだ食卓には届いていない
実は、現在流通している養殖うなぎの99.9%以上は、天然のシラスウナギを捕まえて育てたものです。つまり、天然資源に依存しているという点では、天然うなぎと変わりません。
卵から親まで人工的に育てる「完全養殖」の技術は、水産研究・教育機構(FRA)などの研究により、2010年に実験室レベルで成功しています。しかし、以下の理由から商業化(大量生産)には至っていません。
- コストの壁: 1匹育てるのに数千円〜数万円のコストがかかる(天然シラスなら数百円)。
- 設備と餌: 特殊な水槽や、サメの卵など高価な餌が必要。
私たちが口にしているうなぎは、マリアナ海溝で生まれ、数千キロの旅を生き抜き、さらにシラスウナギ漁の網をもくぐり抜けた、まさに「奇跡の生存者」なのです。
ニホンウナギは現在、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストで「絶滅危惧IB類」に指定されています。この事実は、私たちが「特別な日」に感謝していただくことの重要性を物語っています。
まとめ
うなぎの生態の謎、いかがでしたでしょうか。
- 産卵場所: マリアナ海溝のスルガ海山周辺。
- 発見の鍵: 捕食者を避ける「新月の夜」の一斉産卵。
- 遠い理由: 1億年かけたプレートテクトニクスによる「通勤距離」の延長。
- 現状: 私たちが食べているのは、長い旅を生き抜いた貴重な天然資源。
うなぎの生涯は、まさに地球の歴史そのものです。
次にうな重を食べる時は、ぜひその一口を味わう前に、「よくぞここまで来てくれた」と心の中で声をかけてみてください。その香ばしい味わいと共に、1億年のロマンと3,000kmの旅の重みが、きっと口いっぱいに広がるはずです。
- 研究成果「ニホンウナギの産卵地点の発見」 – 東京大学
- ウナギ研究の歩み – 水産研究・教育機構 (FRA)
- ウナギという生物の知られざる素顔と生態 – WWFジャパン



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