「うなぎといえば浜松」
多くの人が抱くこのイメージは、実は過去のものになりつつあることをご存知でしょうか。
スーパーの鮮魚コーナーで産地ラベルをよく見てみてください。
そこに並んでいるのは「鹿児島県産」の文字ばかりであることに気づくはずです。
実は現在、うなぎの養殖生産量日本一は静岡県ではなく、鹿児島県です。
しかも、僅差の争いではなく、圧倒的な大差をつけての独走状態にあります。
なぜ、「発祥の地」として名を馳せた浜松は王座を明け渡すことになったのでしょうか。
その裏側には、昭和の養殖業者たちを襲った悲劇的なパンデミックと、地形がもたらした必然のドラマがありました。
この記事では、産業データの分析に基づき、昭和のパンデミックとシラス台地の地理的優位性が引き起こした「うなぎ下克上」の全貌を解説します。
明日、誰かに話したくなる「うなぎの真実」を、データと共に紐解いていきましょう。
【最新データ】うなぎ生産量の現実は「鹿児島1強」時代
まずは、客観的な数字で現状を把握しましょう。
私たちのイメージと現実の間には、驚くほどの乖離があります。
日本養殖新聞がまとめた農林水産省の統計データ(2022年実績)によると、都道府県別のうなぎ生産量ランキングは以下の通りです。
- 鹿児島県:7,858トン(シェア約41.0%)
- 愛知県:4,205トン(シェア約21.9%)
- 宮崎県:3,574トン(シェア約18.6%)
- 静岡県:2,365トン(シェア約12.3%)

ご覧の通り、鹿児島県は国内生産量の約4割を占める「うなぎ王国」となっています。
一方で、かつての王者である静岡県は4位。
トップの鹿児島県とは、生産量において3倍以上の圧倒的な差がついているのが現実です。
この数字を見ると、単なる順位の入れ替わりではなく、産業構造そのものが大きく変容していることが読み取れます。
では、いつ、なぜ、このような劇的な逆転劇が起きたのでしょうか。
なぜ浜松は陥落したのか?昭和を襲った「2つの悲劇」
時計の針を、昭和40年代(1960年代後半〜70年代)に戻しましょう。
浜松市史や当時の記録を紐解くと、浜松の養殖業が直面した「抗いようのない2つの試練」が浮かび上がってきます。
1. 養殖池を壊滅させた「エラ腎炎」のパンデミック
最大の転機は、昭和44年(1969年)頃に発生した病気の流行でした。
当時、浜名湖周辺の養殖池で「エラ腎炎」と呼ばれる感染症が爆発的に広まりました。
この病気は致死率が高く、多くのうなぎが大量死しました。
当時の技術では有効な対策が難しく、借金を抱えて廃業に追い込まれる業者が続出したのです。
浜松市文化遺産デジタルアーカイブの記録によれば、この時期を境に生産量は急激な減少カーブを描き始めます。
2. シラスウナギ(稚魚)の南下
もう一つの要因は、資源の問題です。
うなぎ養殖は、天然の稚魚(シラスウナギ)を捕まえて育てますが、かつて浜名湖で豊富に採れていたこのシラスウナギが、徐々に採れなくなっていきました。
黒潮の蛇行などの影響で、シラスウナギの主な採捕地が九州方面へと南下していったのです。
稚魚が地元で採れなければ、他県から買い付ける必要があり、コストも鮮度も不利になります。
さらに、浜松周辺では都市化が進行しました。
住宅地が増えたことで養殖池を維持することが難しくなり、病気と環境変化というダブルパンチが、浜松の生産基盤を構造的に弱体化させたのです。
なぜ鹿児島が勝ったのか?「シラス台地」という最強の武器
浜松が苦境に立たされていた頃、九州の鹿児島県、特に大隅半島では、うなぎ養殖という産業が爆発的な成長を遂げようとしていました。
なぜ鹿児島だったのでしょうか。
その勝因は、人間の努力以上に「土地の力」にありました。
「シラス台地」がもたらす奇跡の水
鹿児島の土壌は、火山灰が降り積もってできた「シラス台地」で覆われています。
この地質は、うなぎ養殖にとって天然の濾過装置として機能しました。
雨水がシラス台地を通過する過程で不純物が取り除かれ、ミネラルを含んだ清浄な地下水となって蓄えられます。
養殖業者のサイト(yomanjo.com)などの証言によれば、この「無菌に近い豊富な地下水」を使うことで、病気のリスクを劇的に下げることができたのです。

温暖な気候によるコスト競争力
さらに、うなぎは水温25〜30度を好む生き物です。
冬場でも温暖な鹿児島県は、水温を維持するためのボイラー燃料費(加温コスト)を、他県に比べて大幅に抑えることができました。
- 豊富な地下水(病気に強い)
- 温暖な気候(コストが安い)
- 広大な土地(大規模化が可能)
この3条件が揃った鹿児島では、企業が参入して大規模なハウス養殖を行う「工業的な生産体制」が確立されました。
家族経営が中心だった浜松に対し、鹿児島は「シラス台地の地理的優位性」を武器に、産業としてのスケールメリットで勝利したと言えます。
「浜松うなぎ」は終わったのか?ブランドとしての現在地
ここまで読むと、「浜松のうなぎはもうダメなのか?」と思われるかもしれません。
しかし、それは大きな誤解です。
生産量(量)では鹿児島に譲りましたが、ブランド(質と歴史)において浜松は依然として特別な存在です。
明治時代から続く100年以上の歴史の中で培われた「加工技術」や「焼きの職人芸」、そして老舗専門店の集積度は、新興産地には真似できない資産です。
実際に、浜松市内のうなぎ店は今も多くの観光客で賑わっています。
- 鹿児島: 圧倒的な生産力を誇る「うなぎの供給基地」
- 浜松: 歴史と食文化を継承する「うなぎの聖地」
このように、両者は現在、それぞれの役割で日本のうなぎ文化を支えていると考えるのが正しい理解でしょう。
まとめ
「うなぎ=浜松」という常識が覆された背景には、単なる競争の結果ではない、深い歴史のドラマがありました。
本記事のポイントをまとめます。
- 現在のうなぎ生産量1位は鹿児島県であり、シェアの約4割を占める。
- かつての王者・静岡県(浜松)が順位を下げた直接的な原因は、昭和40年代の「エラ腎炎」の流行とシラスウナギの不漁である。
- 鹿児島県が台頭した最大の理由は、「シラス台地」による良質な地下水と、温暖な気候によるコスト競争力にある。
今度、うなぎを食べる機会があれば、ぜひ産地を確認してみてください。
もしそれが鹿児島産なら「シラス台地の水が育んだ味」を、静岡産なら「100年の歴史が守り抜いた味」を。
その背景にある物語を知ることで、うなぎの味わいはきっと、今までよりも深く、感慨深いものになるはずです。
- 県別うなぎ養殖生産量 Best7(最新2022年データ) – 日本養殖新聞
- 浜松市史 五 [減少してきたウナギ養殖] – 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 浜名湖から鹿児島へ。養鰻場の変遷 – yomanjo.com



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